動物倫理 – 日本の新しい動物倫理

重要記事

日本人は、動物に優しい人が多いように感じます。犬や猫に対して害がなされないように気遣うでしょうし、”家畜動物”をわざわざ殴る人も少ないでしょう。動物を虐待したり殺害したりする人は目立ちはしますが、実際は少数です。

一方、動物倫理について多くの人がほとんど考えず、そもそも知らず、ヴィーガンや動物擁護活動家は依然として少数派です。

一体なぜそうなるのでしょう。

このページでは、日本人の動物倫理観について歴史・宗教・現在の状況などを分析した上で、日本の新しい動物倫理の可能性を探ります。

動物倫理とは

動物倫理とは

動物倫理とは、「動物に対して、一人一人が自分が正しいと思う行為を行うために善悪を判断する基準となる、内面的な指針」です。
指針は、個人で決めたり、宗教や動物倫理学などによって示されます。

個人は、個人的な経験や価値観などによって指針を決めます。
例えば、「目の前でにわとりが殺されているところを見たので、にわとりは食べない(牛や豚は食べる)」などです。

宗教は、教義によって指針を定めます。
例えば「アヒムサー(非暴力不殺生)」や「不殺生戒(ふせっしょうかい)」「神は、動物は兄弟であり、植物は食べ物と定めた」などです。

動物倫理学は、科学的根拠に基づき、論理によって「なぜ動物を搾取してはいけないのか」の指針を探る学問です。動物倫理学における指針の根拠には以下のようなものがあります。

  • 苦しみを感じる相手に、苦しみを与えるべきではないから
  • 動物を差別するべきではないから
  • 動物には権利があるから
  • 動物は人間に所有されるべきではないから

動物倫理を体現する動機

記事内画像:動物倫理を体現する動機

ここで、以降の議論に関わってくる、動物倫理を体現する動機を見ていきます。

動物倫理を体現する動機は、大きく2つのカテゴリーに分けられます。一つは「動物のための動物倫理」、もう一つは「自分のための動物倫理」です。

動物のための動物倫理

感情による動機

動機
目の前でにわとりが殺されているところを見る、Earthlingsなどの動物が置かれた現状を描いた映画や動画を見るなどによって喚起された、怒りや悲しみ、同情や慈愛などの感情が動機となります。日本では、感情による動機によってヴィーガンになる人が多いように思います。
動物擁護活動との関係
大多数の動物擁護活動家は「感情による動機」によって活動していると思われます。活動手法も、相手の感情に訴えかけ、「感情による動機」を喚起するものが多いようです。一方、活動に対するカウンターも「感情による動機」によって行われています。
感情による動機によってヴィーガンになる人を増やすのには限界があります。なぜなら、人々は可能な限り見るのを避け、見たとしても数々のバイアスをくぐり抜けなければならないからです。

論理による動機

動機
動物倫理に関する本や論文を読む、SNSでヴィーガンとノンヴィーガンの論争を読むことによって、動物倫理の正当性を理解したことが動機となります。現在、日本では論理による動機によってヴィーガンになる人は現状多くはないものの、今後増えると予想されます。
動物擁護活動との関係
日本において「論理による動機」によって活動する人々は、少数派のように見えますが、徐々に増えています。この人々は今後、社会システムを変えていく役割を果たすことになるでしょう。
動物擁護活動においては、感情による動機を喚起する情報提供と、論理による動機のための情報提供、両方とも必要です。両面からのアプローチが効果的であり、シフト後の意思を強くします。

自分のための動物倫理

宗教・スピリチュアルに基づく動機

動機
宗教・スピリチュアル的な信念により、自分に対して何らかの被害、または、報酬が得られると信じることが動機となります。被害とは、動物をいじめるとバチが当たる、地獄へ行く、輪廻を繰り返すなど。報酬とは、天国や悟りなどゴールに至る近道となる、霊的なステージが上がるなど。
動物擁護活動との関係
現在の「宗教・スピリチュアルに基づく動機」は、既存の仏教や儒教に加え、ニューエイジや新宗教などが雑多に絡み合ったものが多いようです。教義を自由自在に解釈できますので、いつでも動物を搾取する生活に戻る可能性があります。

環境問題に基づく動機

動機
自然環境や生態系サービスを永続的に享受するためには、熱帯雨林を守る、”家畜動物”による温室効果ガスの排出・環境汚染・薬剤耐性菌の流出を防ぐなどをする必要がある、という課題解決意識が動機となり、結果として動物に対して倫理的になります。
動物擁護活動
環境問題が解決されれば再び動物搾取に戻る可能性があり、動物擁護の動機としては弱いものになります。動物擁護活動においてはフックとして機能します。

健康に基づく動機

動機
薬物を多量に投与される動物の肉・乳・卵・養殖魚などを食べることによる健康被害を避けるためなど、自分の健康を改善・維持・向上させるために、結果として動物に対して倫理的になります。
動物擁護活動
環境問題と同様です。

これらの動機は明確に分かれているわけではなく、個人ごとに異なり、入り組んでいます。

このうち1945年時点の英国ヴィーガン協会の定義における「ヴィーガン」と言えるのは、「感情による動機」「論理による動機」「宗教・スピリチュアルに基づく動機のうち、動物を人間と同等のスピリチュアルな存在として見ている場合」です。それ以外の動機は、プラントベースや完全菜食と呼ぶほうが誤解がないでしょう。

日本の動物倫理の歴史

記事内画像:日本の動物倫理の歴史

ここでは、日本の動物倫理の歴史を4つの時代に分けて考えます。

1. 狩猟採集時代

700万年前〜12,000年前(?)

日本で農耕が始まったのは縄文〜弥生時代(12,000年前〜西暦250年) の間であり、それ以前は狩猟採集生活を行なっていました。
動物倫理という概念は存在しなかったでしょうが、もしかしたら個人的に動物に優しい人がいたかもしれません。

2. 動物倫理時代

552〜1871年(1319年間)

日本は、1319年間もの長い間仏教国であり、仏教は不殺生戒を最重要の教義としていたため、動物に対する暴力や殺害を忌避し、肉食は不浄であるという価値観がありました。
つまり歴史的に、日本人が動物倫理を体現する動機は、「宗教・スピリチュアルに基づく動機」でした。
552年、天武天皇によって日本初となる肉食禁止勅令が発布されて以降、数々の天皇や将軍が、民衆に対して動物に対する肉食禁止や狩猟の制限を命じています。もちろん、狩猟や肉食は行われていたものの、それは本来行うべきではないこととという価値観があったと思われます。

このころ、家畜動物である馬や牛は、食糧ではなく労働力でした。動物搾取ではありますが、現在の搾取とは異なり、家の一番日当たりの良いところに動物を居住させ、終生飼育し、死亡した後は食べることなく土に埋葬することもありました。

野生動物に関しては、街中にたぬきやキツネや野良犬が歩いており、蛇やムカデを殺すこともないと、日本を訪れた欧米人が野生動物の豊さと日本人の動物に対する優しい態度に驚嘆していました。(河合雅雄. 「動物たちの氾濫」) 
現代の多くの日本人から見ても、本当にそんなことがあり得るのかと不思議に思うでしょう。

私の住んでいる集落の老人から同じような話を聞いています。「昔は、そこら中に動物がいた。程よい距離を保ち、人間は動物に手を出さず、動物は人間を怖がらなかった。」。
私自身、野生動物の友達がいます。その経験から、日本の動物倫理時代は真実だと思っています。

動物と人間が共存するユートピアのような国が本当にあり、それは日本だったのです。

私たちはこの国を取り戻し、さらに発展させたいと思っています。

3. 動物に対する倫理観が破壊された時代

1871年〜現在(153年間(2024年時点)

1871(明治4)年、明治天皇が肉食を解禁したことによって、日本人の動物に対する態度は大きく変質しました。日本人にとって、動物が、「共存する隣人」から、「搾取対象」となった日といえます。現在の日本人は後者の考え方が染み付いていますが、アニマリズム党は前者の素晴らしい日本文化に戻したいと考えています。
これを受けて1872年2月18には、御嶽行者10名が、「肉食は日本人と天皇を穢す」と直訴するために皇居に入り、4名射殺、1名重傷、5名が逮捕されるという事件が起こっています。

この後、国策として畜産や酪農が推進され、肉や卵を食べ、牛乳を飲む習慣が普及、日本人の動物倫理観は徐々に減じ、第二次世界大戦後の工場畜産の発展や産業やメディアの販売促進キャンペーンにより、日本人がかつて持っていた動物への共感や尊重は破壊されました。
現在、日本人のうち動物への共感や倫理観を失ってしまった人々は、家畜動物は人間の食糧としてのみ存在しており、野生動物は敵であると認識しています。インターネットには動物搾取・虐待の映像が溢れそれに賛同する人々が、動物の搾取を止めようとする人々を攻撃する、というところまで来てしまいました。

日本の動物倫理が破壊された原因は、西欧文化の輸入であり、富国強兵であり、天皇を肉食の象徴として変質させた政策です。今の日本人は、すっかり変質し、利己主義、傲慢、強欲が大手を振って歩き、攻撃的で対立的になってしまいました。
私たちは、かつての誇り高く優しい日本人を取り戻したいと思っています。

4. 新しい動物倫理時代

1975年〜未来

現在、日本を含めた世界の動物擁護活動は、西洋哲学によって牽引されており、つまり「論理による動機」によって発展しています。

日本の近代的動物擁護は、1902年「動物虐待防止会」の設立に始まります。英国の動物擁護団体SPCAに倣い、キリスト教の牧師が始めたものです。 戦後は、1948年マッカーサーの妻などによりJSPCA (日本動物愛護協会 (英語ではSociety for the Prevention of Cruelty to Animals(日本動物虐待防止協会))が設立され、1955年に「日本動物福祉協会」が設立されました。
1975年には、哲学者ピーター・シンガーにより『動物の解放』が出版され、世界の動物擁護活動の発展の契機となりました。日本でも動物擁護団体が設立されました。

次に、日本人と西洋人の動物倫理観の根拠を比較します。

日本人と西洋人の、動物に対する倫理観の根拠

日本人と西洋人の、動物に対する倫理観の根拠

西洋人の動物に対する倫理観の根拠

西洋における動物倫理は、ギリシャ哲学を基盤としています。
紀元前から始まり、現在まで脈々と続いています。西洋の動物倫理学は、数千年の議論の積み重ねの上に成り立っています。

西洋人の宗教観は、ユダヤ・キリスト教を基盤としています。キリスト教の一部の宗派は動物への搾取を禁じていますが、大多数のユダヤ・キリスト教は、人間は動物を支配管理する役割を与えられたとし、動物搾取を肯定しています。

日本人の動物に対する倫理観の根拠

日本における動物倫理は、仏教を基盤としています。
先ほども見てきたように、日本は、動物を倫理的に扱うことを当然のこととしている社会でした。その動機は、宗教的な賞罰(地獄に落ちることや、次の輪廻で苦しい人生を歩むことを避けるためなど)などであると推察されます。、「バチが当たる」「おてんとさんが見てる」といったような素朴な言い回しで表現されることです。

動物倫理の衰退仏教の堕落と宗教的な混乱
日本の動物倫理の衰退の原因の一つが、宗教的混乱であると考えられます。

現代日本の仏教を見てみると、仏僧でさえ肉を食べており、あまつさえ「感謝して食べればよい」などと衆生に勧め、不殺生戒を捨て去っています。堕落し切っているように見えますが、おそらく中には教義を守って生きている人々がいるはずです。

かつては仏教に加え、自然信仰・山岳信仰・シャーマニズム・神道・儒教・陰陽道などが絡み合っていました。現代ではそれに加え、国家神道や新宗教、キリスト教など西洋の宗教的感覚、ニューエイジやカルトが複雑に絡み合い、混沌としている状態です。

仏教以外の宗教はいずれも明確に動物に対する暴力や殺害を禁じていないことから、やはり、日本人の動物倫理感の根拠は仏教にあるといえます。

西洋は、古代ギリシャ哲学から、現代の動物倫理学まで、連続したの同じ系譜の上にあります。
日本は、仏教から、一度断絶があり、輸入された新しい概念である、現代の動物倫理学にジャンプしています。多くの日本人は、西洋哲学から動物倫理学まで、一から学び直さないといけません。日本で動物倫理が広まりにくく、動物擁護活動が進展しない原因の一つではないかと思います。

日本の新しい動物倫理

記事内画像:日本の新しい動物倫理

歴史的な観点からのまとめ

「動物倫理時代」の日本人は、動物倫理という概念はありませんでしたが、動物に対し、現在ではにわかに信じられないほど倫理的でした。

動物に対する倫理観が破壊された時代」の日本人は、明治以降に動物に対する倫理を破壊された日本人です。仏教が伝来してから1300年以上続いた文化を、たった150年余りで捨て去りました。
今では、動物に対して倫理的に振る舞うことを勧めると、西洋の価値観や文化を押し付けるなといった反論さえするほどに。現代の日本人にとって、野生動物と生活の場を共有するほどの共存や、動物への倫理的配慮は、他国の文化のように感じられていることがわかります。

しかし動物に対して倫理的に振る舞うことは、かつての日本人にとっては当たり前のことでした。かつての日本は、現代の西洋よりはるかに動物倫理が発展していました。これは、日本人が誇るべき日本独自の動物倫理です。

動物倫理を体現する動機の観点からのまとめ

かつての日本の動物倫理は、仏教によってもたらされました。
しかし、現在の動物倫理は、西洋哲学の動物倫理学によってもたらされています。

このズレが、日本の動物倫理の発展が遅い原因となっている可能性があります。一定程度の日本人にとっては、西洋哲学や倫理学、人権や動物の権利が、なかなかピンときません。西洋的な論理で動物擁護活動を進めていく難しさを感じている活動家も少なからずいると思います。

一方、どの宗教でも自分勝手に解釈し、生活や考え方に組み込むことができる、良く言えば柔軟、悪く言えば節操のない宗教観を持っている日本人は、現在、数多の宗教や思想が流入し、寄って立つものがなく混乱しているように見えます。

つまり、日本人が動物に対して倫理的になる軸がない状態です。

日本の新しい動物倫理のヒントを探る

宗教・スピリチュアルに基づく動機による、動物倫理の発展

日本人個人の変革には、仏教的感性を再興し、日本人が1319年もの間生きてきた動物倫理時代を思い出し、発展させることが有効ではないかと考えます。
アニマリズム党としては、仏教やジャイナ教など複数の宗教の教義となった「非暴力不殺生」という概念と実践を発展させていきます。

論理による動機による、動物倫理の発展

日本社会の変革には、西洋哲学に基づく動物倫理学を軸とし、科学的・論理的な根拠を積み上げ、権利を拡張していくことが必要です。
アニマリズム党としては、動物倫理学者をはじめ、動物法学者、生態学者、環境学者など、学術と政治活動との連携を行っていきます。

日本の新しい動物倫理

ここまでで、日本のこれからの動物擁護活動には、かつての日本の「仏教(的感性)に基づく動物倫理」を新しい形で再興させることと、「西洋哲学に基づく動物倫理」を更に発展させていくこと、これら二つの道を融合させ、日本の新しい動物倫理を創造していくところまで辿り着きました。

この道がどのような道なのか、まだ見えていません。
しかし、一つ一つ課題を明らかにし解決していくことによって、見えてくると思います。

私は、人類はいつの日か必ず動物解放を実現すると信じています。
日本人が、日本の新しい動物倫理の元に、動物と人間が共存する日本、平和で緑豊かな地球を創造する日を思い描きながら。

(目黒峰人)

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